哲学的視点で思い込みについて考えてみる

2020年05月02日 08:06


今日は思い込みについて考えてみたい。
人が考えている信念は大概思い込みであったりする。
思い込みに気づくことでより人生が自由に近づくのではないか、と一人言のような感じでまとめてみた。

思い込み=錯覚としての世の中の見方

イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンによれば人間の思い込みには4種類のイドラがあると言われている。

イドラの概念についてはベーコンよりもはるか昔のギリシア哲学では紀元前460年~370年頃のデモクリトスが考えたとか。

イドラは<像>の意味である。

4つのイドラの性質について紹介しよう。


種族のイドラ 

人間の種族としての錯覚 暗いところでものを見間違えるなど。


洞窟のイドラ

個人の立場からの思い込み。自分は普通の家庭だから出世できないなど。

市場のイドラ

噂話を真に受けてしまう。言葉の不適切さからの思い込み。

劇場のイドラ

肩書きでものを考えてしまう。芸能人が使っているものだから良いもの


ベーコンは知ることが力になると考え「自然を支配するには人間の生活を改善すること」として経験を重視した。支配、というより共存なのかもしれないけど。

人間は偏見や思い込みに陥りやすく、正しい知識を得ることをイドラが妨げると考えていた。
イドラを克服することによって自然の本質を知ることができる。

イドラから自由になるために帰納法を提唱した。

帰納法とは実験や観察を行い共通する一般的・普遍的な法則を見つけ出すことである。

とまあ、箇条書きにしてみたけど私はこのイドラがあってこそ真実に近づく道を求めるきっかけになるのではと思う。

目に見えていること、自分の置かれている環境がすべてだと思ってしまうもの。
特にこどもや学生だったら一緒に住んでいる親、近所の人とかしか周りにいないわけだから。
経験が少なかったら自分よりも経験している人を観察したり話を聞くしかないもんなあ。



また、イドラが前提になっているストーリーを生きればある意味楽な部分があるのかもしれない。それが世間では常識として言われているかもしれないからだ。人と同じであれば、認められれば大丈夫、かもしれないけど世間に合わせて無理をしていたら元も子もないような。

今日はこんな感じでおしまい。

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