アーサー・ケストラーを読む

2021年04月03日 00:04

突然だけど、(突然段ボールってバンドが好きだった)

アーサー・ケストラーという人をご存じだろうか。

彼について説明しようにも、多分検索した方が速いと思うので略歴は書かないけど、私にとって、形而上学とも、抽象的な「ホロン」を提唱している人なので、ずっと気になっていた。

彼はヨハネス・ケプラーの本を出版していたり、哲学者であり、中央アジアやチベットを旅したり行動派だ。
禅を確かめに来日するも、彼はあんまり禅に対して肯定的ではないため、日本では好かれていないようだ。
ネットでググっても全然何言ってるかわかんないしやっぱり本読むしかないよな、と思っていた。

ここ数年、自分の中で考えていた、西洋的、または東洋的二元論や一元論について両方観ている彼なら、面白い視点でものを書いているんじゃないか、とずっと読んでみたかった。最近やっと図書館で見つけたのである。

古本でやたらと高い値段がついているし、
復刊希望は出ていても、なんとなく何十年か経ってしまっている本。
それが「機械の中の幽霊」(漫画の攻殻機動隊の元ネタ?、あとはスティングで有名なポリスのアルバム名にもなっている)である。

西洋的な二元論は精神と肉体であり、東洋的な面、特にインド哲学において神との合一、地球にいる限りハッキリするのか、境目を曖昧にするのかなんだかもやもやするなあと思っていた。
自分でもなぜこの辺りにこだわるんだろう、と思っていたのだけど認識が鮮明になるだけで、なにかを無意識に前提として考えている軌道修正になるのではないかと期待したのだ。

この中で彼が提唱しているホロン。

全体と部分は表裏一体である。ヤヌス的意味を持ち合わせている。
ヤヌスは顔が二つある神様。二つ顔があるおかげで、境目を表している。
1月の語源にもなっている神様。

holonは、造語であり、holos(全体)+on

onの意味は
proton (陽子)neutron(中性子)のように粒子、特に部分を意識して命名している。


このホロンはヒエラルキー(ピラミッド的な構造)とは異なり、色々な物事において代替が可能な便利な概念で、秩序や規則、ともとれる。
有形・無形問わず何かしらの状態が色々な概念で通用する、と発明?したのだ。

これでも全貌がよくわからない。

中に例え話が載っていた。

二人の兄弟の時計屋がいた。
二人が作る時計は精巧でよくできていたが、一人は短期間で作れるのに対し、もう一人はとても時間がかかった。

なぜ早く作れることができたか。
そのカラクリは、今では当たり前なのだろうが、部品をある程度なユニットにして、作ることができるのに対し、時間がかかった方は一度席を離れるともう一度初めから作り直さなければならなかった。

何が言いたいのかというと、継続性のあるものはある規則性があり、それがひとつのホロン(全体と部分のヤヌス的構造)ということだと私は解釈した。

彼が本の中で警鐘を鳴らしていることは、社会を全体として自分は部分とみる一面もあれば、そうではない個人としての全体と部分は異なるものであるのにそこを一緒くたにしてしまうと、自他問わずあらゆる面に於いて緊張や対立を招きかねないと書いている。
要は盲目的になったらあかんでえってことか。

人間は分けたり、くっつけたり、法則をみつけたりするのが好きだなあとも思う。
でも、まずはそうしてみないと動きを作れないということもあるのだろう。
ホロン、という名前の概念を想起するための装置なんだろうな。
あんまりホロンっていう言葉自体や、構造に意味はなくて。
物事を立ち返って見直してみたり、再考するきっかけとしてホロンがあるのではないか。


これはざっくり読んでみた私の解釈であるし、この話について誰かと論じたり、感想を求めようとする気は毛頭ない。
ただ彼のホロン、が何かに向かって運動しているエネルギーを俯瞰してみているという視点では面白いな、と。

ある意味タロットもこういった、全体と部分を海の波のように行き来しながらぼんやりと潮の流れを読むという感じに似ている。

権力としてのヒエラルキーではなく、全体と部分が表裏一体、また、そのコード(規範)が色々なところにあると観る。
(タオみたいな感じ?)

自分がおお、こういうことか!と閃き、バラバラのパズルのピースがうまく納まる感触を文字や言葉にしようとすると、本当に難しい。

なぜ難しい話を今日はしたのか。本を読んでから、どうしてもホロンについて書かないと落ち着いて眠れない日々が続き自分の中の覚書的に書くことにした。






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