スピリチュアルと占いで思うこと。

2021年06月08日 21:53

今日は雑記なのですが、暇なときにでも。

タロットの鑑定をしていると同時に、ずっと続けているルーティーンに、古本屋さんに行く時、大体スピリチュアルや占いのコーナーに行きます。

なぜか高田馬場のブックオフや、たまに地方のちょっと変わった品揃えの古本屋に行くと90年代前半や80年代のマニアックな精神世界の本が置いてあってウハウハで一時期読み漁っていましたが、本は結構かさばるので最近はあんまり読まなくなりました。図書館が一番いいかも。

音楽も好きで、昔レコード屋でバイトしてたこともあってフリージャズや電子音楽にハマってたこともありました。
細野晴臣さんのエッセイは中沢新一さんや横尾忠則さんと対談してたり、多分78年あたりから90年代初めくらいまでってどことなくニューエイジ思想が流行ってた気がします(あくまでざっくり)

思想や芸術に、霊性を考えないことなんてあるのかしら、と思います。


今更だけど、スピリチュアリティーってなんだろうと思うことがあります。

霊性、魂を重んじる意識的生き方、霊的な生き方は物質的、社会的な成功とイコールなのだろうか、と。
イコールにしてもいいし、イコールにしすぎるとすごく下世話になります。
よく自分が探究していること、幸福とは何か、と言う話をぼんやりとすると悩んでいるの?とか子どもの頃から考えすぎだよ、と周囲に言われていたのが、自分でも笑ってしまうのですが、

最近、自由と孤独は隣り合わせなのではないかな、と思うのです。
周囲から認めてもらったり、誰かが作ったセオリーの外で生きることってある意味模索しながら、遠回りになることもあるかもしれません。
スピリチュアルな探究をしていくと、どうしてもあれ?と思うことがあるかもです。
結構みんな俗っぽいんだなあって。自分の俗っぽさにもびっくりすることもあります。

知識として、知っている、または経験した、これらをしていない人と比較して対立するのもエネルギーがもったいない気がします。

たった数十年の人生ですが、私はそうは思わないなあ、と感じることが多い人生でした。
何が、と言われるとすごい難しいのですが、例えばですが、

あまり誰かに認めてもらうことに興味がないし、褒められて立派な肩書きを持つ人になりたいとは思いません。

以前音楽活動をしていたことがあり、その経験から人気者とかもめんどくさいし、とはいえたまに顔とか名前出さなきゃ仕事にならないしなあ、とこんな感じです。冷めてるのかもしれません。
以前は人に認められることが、世の中での処世術なのかしら、、と思ってたけど全然そんなことありませんでした。
やりたくないことは、無理してやらないに限る。
これはスピリチュアル、特にスピリチュアルビジネスを別に敵に回そうとするわけじゃないのですが、お金や時間をかければ成長できたり、バキッと変わるような、思い切り別人になることってないよなって。
私という人間の延長に物をみているわけで。

はっきり言ってめちゃくちゃよくなりました!変わりました、みたいなそういう人にも会ったことがないというか、、
変わるってどこから?何から?みたいなのもあるけど。
物の見方の視点が同じ限りツールが変わっても同じように解釈するというか。
だから何が優れていて何がだめ、とかはなくてなんでも容量・用法守って判断を他人任せにしない、というか。

スピリチュアルに目覚めれば迷うことも落ち込むことも、悪いことが起きなくなりいいことしか起こらない、そんなの両方あって当たり前じゃない?と。
自分の中で気づくことが日々の中で少しでもあればいいんじゃないかなと。

スピリチュアル!占い!変わりたい!変えたい!という人のために占いを始めた経緯があるんですよね。。
住居、仕事、人との別れを3ついっぺんになくなったことがあって、わ〜どうしよう!!となった時にタロットで救われた経緯があり、最近も似たような経験をして、これって自分のせいじゃなくね?むしろこれ、せっかく自由になったんだからすごいじゃん!
焦りもひっくるめて楽しもうぜ!みたいな。

スピリチュアルと占いとか精神世界との付き合い方が少しずつ楽しめるようになってきました。

熊谷守一という日本画家の逸話で、川で溺れている時にああ、助けてくれーってなるより忙しいなあと思ったとか、(ちょっと水木しげるっぽい)
そんな感じでしょうか。

あれ、何書こうと思ったのかなあ。また。

記事一覧を見る

powered by crayon(クレヨン)